数珠とは?

数珠

数珠とは

多くの小さな珠(たま)に糸を通し輪状にした法具(仏具)のことです。仏教のお経、念仏を唱える際に使用する珠という意味で念珠と呼ばれることもあります。珠の数は煩悩を表す数の108個が基本と言われています。実際は持ちやすいように半分の54個、4で割った27個などの様々な種類があります。

数を数えるための仏具

紀元二世紀頃インドで生まれ、世界各地に広まった数珠。日本には八世紀頃伝わり、今では私たちにとって弔事では身近な仏具の一つとなりました。数珠は、もともと念仏やお題目を何回唱えたかを数えるためのもの。珠の材料は、菩提樹の実や水晶をはじめ、鉄、赤銅、真珠、珊瑚など。房の付いた親珠を中心に、多数の小さな珠をひとつの輪につないだものが一般的ですが、種類は宗派によって違いがあり、現在では七十種類ほどもあるようです。

珠の数は煩悩の数

数珠の珠は、通常、百八が基本で、五十四、四十二、三十六、二十七、二十一、十八と、数が少ないものもあります。百八とは、大晦日の夜につく除夜の鐘でも知られるように人間の煩悩の数。そのことからも、数珠は、仏教的には「煩悩を消滅し、仏の功徳が得られますように」との願いを込めて、手にするものであることが分かります。

こころを込めることが、最も大切

こころを込めることが、最も大切

では実際、あなたは葬儀に参列する際、数珠を携帯していますか。「仏様を拝むのだから、必ず持つ」という人「スーツにネクタイをするように、数珠を持つのは一種のマナーのようなもの」という人「特に必要性を感じたことはないから持たない」という人など、それぞれだと思います。いずれにしても大切なのは、故人や仏に対する心持ち。数珠の本来の意味を知ったうえで、相手への弔意を示すアイテムの要素をふまえながら自分自身で選択すればよいのではないかと思われます。

数珠の選び方

数珠は大きく分けて「略式の数珠」と「宗派別の本式数珠」があります。略式の数珠を用意しておけば、仏式の葬儀に参列する際に活用できます。また、数珠にも女性用・男性用がありますので注意が必要です。

【最大20%OFFクーポン配布中!】日本製 数珠 男性用 縞黒檀 数珠袋付き [ 念珠 水晶 ペア 本水晶 じゅず 葬式 略式数珠 京念珠 通販 値段 種類 葬儀 京都 販売 選び方 購入 価格 法事 法要 通夜 買う お寺 浄土真宗 色 オニキス 房の色 お彼岸]

価格:1,990円
(2021/4/26 14:43時点)
感想(112件)

数珠 ふくさ 数珠入れ(女性用 3点セット) 紅水晶(ローズクォーツ) 8mm玉 念珠 略式数珠 正絹房 葬式 慶弔両用 袱紗

新品価格
¥1,490から
(2021/4/26 14:43時点)

ソンディは、その中間にある家族的無意識と 宗教の関係 

ソンディは、その中間にある家族的無意識と 宗教の関係

守護霊の系譜?こうして守護霊を持て

新品価格
¥1,078から
(2021/4/26 08:37時点)

近代心理学は、

(1)フロイトの個人的に抑圧された無意識の層、

 

(2)ユングの集合的(群衆)無意識の層、

 

の二つの道を歩んできた。

 

 これに対し、

〔3}ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。

つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 

 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである)

 

 それはなにかというと、ひとの運命を決定するものが、抑圧された祖先の欲求ばかりではないということである。それがすべてではないということだ。それは非常に大きな要因ではある、が、そればかりではないということである。

 なぜかというと、密教占星術によれば、運命の「時期」まで決定されているからである。ソンディ理論によれば、「形式」の形成の説明はつくけれども、「時期」が決定される説明はつかない。それは先祖の抑圧意識のほかにも要因、かおるからである。それについてのわたくしの理論と意見はここでは述べない。べつな機会にゆずることにする。かなりに厖大な址となるからである。

ソンディ理論は「平面彬成」(空間)の理論であり、このほかに「立体構成」(時間)の理論かおる。㈲の理論は、ソンディのごとく、心理学的方法でなされるが、時間の理論は数学的方法でなされ、かなりに難解なものになる。これはまたべつな一冊の書物となるであろう。

 

タテの因縁とヨコの因縁

タテの因縁とヨコの因縁

人間の持つ因縁の大体を述べてきた。

あなたも、これらの因縁の中のいくつかを必ず持っているはずである、
では、これらの因縁ぱ、いったい、どこから生じたのであろうか?

 仏陀は、経典の中で、
「種の差別は業に由る」 とおっしやっておられる。

つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしやっているのである。
では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?

基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。
タテの因縁とはなほか?

先祖から受けついだ系である。

ヨコの囚縁とはなにか? 自分が前生でなした業である。

このタテの因縁とヨコの因縁の交わるところが、自分である。
図示すると、つぎのようになる。

タテの因縁
(祖先から受けついだ業)
ヨコの囚縁
(自分の前生になした業)
交わるところ
(我である)

つまり、祖先の業と、自分の前生の業と、この二つの業によって生じたのが、自分の因縁である。言葉を替えていえば、自分は、祖先の因縁と自分の前生になした因縁と、この二つによって、この世に生まれ存在しているわけである。この二つの系続から成り立って
いるのが、自分という存在だ。

 どんな人でも、親-祖先なくしては存在しない。ということは、親、祖先から、さまざまなものを受けついでいるということである。顔かたち、性格、体質、その他もろもろのものを受けついでいる、これはどんな人も否むことは出来ない。
有名な儒教の大学者、安岡正篤先生は、その著書『大学』(経書の書名)の講義の中で、こうのべておられる。

霊障の因縁
先にも述べたが、霊障を伴う因縁がいくつかある。
「横変死の因縁」
「家運衰退の因縁」
「肉親血縁相剋の因縁」
「色情の因縁」
など、ほとんど、霊障のホトヶが霊視される。

○横変死の囚縁

○刑獄の囚縁

○逆恩の囚縁

○肉親血縁相剋の囚縁

○夫の運気を剋害する囚縁

○怨集の囚縁

 

○ガンの囚縁

○家運衰退の囚縁

○刑獄の囚縁

○中途挫折の囚縁

○色情の囚縁

○循環系統障害の囚縁

○財運・本の囚縁

○肉体障害の囚縁

○脳障害の囚縁

○夫婦縁障害の囚縁

〔五慨しへ格の囚縁

○逆恩の’囚縁

○手繰のうすい因縁

○怨集の囚縁

○夫婦縁破れる囚縁

○消化器病の因縁

○産厄の囚縁

○色情の因縁

○二乗人格の囚縁

○中途挫折の囚縁

○家運衰退の因縁

○婦人科疾患の囚縁

o二重人格の因縁

○財運・水の囚縁

○怨集の囚縁

o手繰のうすい因縁

○色情の因縁

○循環系統障害の因縁

Vertical and horizontal ties

Vertical and horizontal ties

I have described most of the human ties.

You must also have some of these ties,
Then, where did these fate come from?

Buddha is in the scriptures
“Species discrimination depends on karma,” he said.

In other words, he says that each person is born with a different cause depending on the “karma”.
Then, how does karma work against fate?

Basically, it appears as “vertical fate” and “horizontal fate”.
What is the cause of the vertical?

It is a system received from ancestors.

What is a horizontal prisoner? It was a work that I did in my previous life.

I am the intersection of this vertical and horizontal connection.
Illustrated, it is as follows.

Vertical fate
(Business received from ancestors)
Horizontal prisoner
(The work that was done in my previous life)
Where they meet
(I am)

In other words, it is my connection that was caused by the work of my ancestors and the work of my predecessor. In other words, I was born and existed in this world by the ancestor’s ancestors and the ancestor’s ancestors. Consists of these two systems
I am the one who is.

Any person would not exist without parents-ancestors. This means that we are accepting various things from our parents and ancestors. It accepts face shape, personality, constitution, and much more, which no one can deny.
Professor Masahiro Yasuoka, a famous Confucian university scholar, mentioned in the lecture of his book “University” (the title of the book).

Fate of spiritual disorder
As mentioned earlier, there are several causes of spiritual disorders.
“Fate of Suspicious Death”
“Fate of the decline of family luck”
“Fate of relatives and kinship”
“Fate of pornography”
Most of the time, the spiritual disorder of Hotoka is seen.

○ Suspicious death prisoner

○ Prison ties

○ Reverse grace

○ Relatives and blood relatives

○ A prisoner who damages her husband’s luck

○ The prisoner of grudges

○ Cancer prisoner

○ The prisoner of the decline of family luck

○ Prison ties

○ Frustrated prisoner

○ The prisoner of sexuality

○ Prisoners of circulatory system disorders

○ Fortune and book ties

○ Prisoner of physical disability

○ Prisoner of brain damage

○ Marital relationship disorder

[Five-minded prisoners

○ Reverse grace’

○ Thin fate of hand-carrying

○ The prisoner of grudges

○ Marital relationship

○ The cause of digestive diseases

○ Prisoners of misery

○ Fate of pornography

○ Squared personality prisoner

○ Frustrated prisoner

○ The cause of the decline in family luck

○ Prisoners of gynecological diseases

o Fate of dual personality

○ Fortune and water prison

○ The prisoner of grudges

o Thin fate of hand-carrying

○ Fate of pornography

○ Causes of circulatory system disorders

運命学から見た 心理学ーソンディ学  Psychology from the perspective of fate-Sondy

 

 

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。

 

人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、

『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。

 

 

結婚選択

恋愛も含め 、結婚を先祖から決定させる。

とくに女性とって深刻ある。

職業選択

どのような職業が選びとるか?

 

疾患の選択

病気の選択

ガン 心臓  脳 その他の

病の選択

死亡形式

自殺  事故  他殺 の運命

 

 

Sondy calls the consciousness (impulse) that offspring inherit from their ancestors from generation to generation, “impulsive emotion (impulsive consciousness),” and says that “human destiny is a choice.”

 

Humans are based on the impulsive emotions (impulsive consciousness) inherited from their ancestors.

Sondy’s theory is to make important choices in the four areas of life: marriage choice, occupation choice, disease choice, and death form choice.

 

 

 

Marriage choice

Let your ancestors decide on marriage, including romance.

Especially for women.

Occupation selection

What kind of profession will you choose?

 

Disease selection

Disease choice

Cancer Heart Brain Other

Disease selection

Death form

Suicide Accident Fate of homicide

 

 

 

〔3}ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。

つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 

 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである)

 

 それはなにかというと、ひとの運命を決定するものが、抑圧された祖先の欲求ばかりではないということである。それがすべてではないということだ。それは非常に大きな要因ではある、が、そればかりではないということである。

 なぜかというと、密教占星術によれば、運命の「時期」まで決定されているからである。ソンディ理論によれば、「形式」の形成の説明はつくけれども、「時期」が決定される説明はつかない。それは先祖の抑圧意識のほかにも要因、かおるからである。それについてのわたくしの理論と意見はここでは述べない。べつな機会にゆずることにする。かなりに厖大な址となるからである。

ソンディ理論は「平面彬成」(空間)の理論であり、このほかに「立体構成」(時間)の理論かおる。㈲の理論は、ソンディのごとく、心理学的方法でなされるが、時間の理論は数学的方法でなされ、かなりに難解なものになる。これはまたべつな一冊の書物となるであろう。

 

3} Sondy discovered a layer of family unconsciousness in between.

In short, he discovered a “sect” between the individual and the crowd. This, of course, was something that wasn’t done. Individual

No one in the crowd was not a “family”. Then, of course, one unconscious boss should exist (or be formed) there.

Then, what did the sonde “discover in that unconscious layer?”

He discovered a special repressive consciousness in the unconscious layer named “family unconscious”.

It is, in a nutshell,

“The desires of ancestors that are suppressed in an individual determine the fate of the individual as an unconscious selection behavior in love, friendship, occupation, illness, and death.”

That is.

 

..

Sondy is like this.

“Based on an analysis of choices in romance, friendship, occupation, illness and death, the source of choices is this family desire.”

In other words, it is the oppressed consciousness of the ancestors hidden in the depths of the person’s heart that determines them, from love, friendship, occupation, illness, to death.

 

This is because these choice behaviors that shape an individual’s destiny are not determined by decisions that are based on conscious and rational considerations (of course, on the surface, they are, but in fact). The choice behavior is an impulse act, which is driven by the unconscious one who chooses impulsively. (Up to this point, Freud is almost the same. The difference from Freud is that the impulse is related to the sect-ancestor-and is Kaoru.)

 

It is that it is not only the desires of oppressed ancestors that determine a person’s destiny. That’s not all. That’s a huge factor, but it’s not the only one.

The reason is that according to esoteric astrology, the “time” of fate is determined. According to Sondy’s theory, the formation of “form” can be explained, but the “timing” cannot be determined. This is because there are other factors besides the oppressive consciousness of our ancestors. My theory and opinion about it is not mentioned here. I will give it to another opportunity. This is because it will be a fairly large site.

Sondy’s theory is the theory of “plane formation” (space), and in addition to this, it is the theory of “three-dimensional composition” (time). The theory of ㈲ is made by a psychological method like Sondy, but the theory of time is made by a mathematical method, which is quite esoteric. This

釈尊の成仏法  霊性とはじつにそれを知る趨性  Shaka Nyorai’s Buddhahood method: Spirituality and the tendency to know it


釈尊     それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその相を見た。そこには貴いもの、賤しいもの、美しいも
の、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いていた。これが第二の智慧である。

それからわたしは、苦・集・滅・道の四諦(四つの真理)をありのままに知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれ
に執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、三生、十生、二十生、さらには無
限の生涯の、生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。それは自分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このっぎの人生)を見て
いるのである。

釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話、寓話をのべているのではない。釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。その修行によ
り、わたくし白身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透視できるようになっているのである。

人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの
生命形態に移っていくのである。

多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものと思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのであ
る。

霊性とはじつにそれを知る趨性なのだ。

人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、人はおのずから、
なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進
歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いてい
るのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのであるこの無知を、釈尊は、「無明」(乙忿ごと名づけたのである。

ショウジョケバエの論理

この「無明」という言葉には、二つの意味がある。

まったくの無知と、完全な闇である。

「明」には明知(智慧)と、光明、の二つの意味がある。

 真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態である。まことに人間はそのとおりではないか。来たるところを知らず、往くところを知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いかお先真っ暗である。
なる生命形態として存在することになるのか、まったくお先真

「第三の目」は、このお先真つ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に問はない。真昼のごとく明らかに見ることができるのである。

 奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈尊の十生、二十生を見通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。

 ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。ふつう、一世代がわずかに約一ヵ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。

 そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずるか、目のあたりに知ることができるのである。

 釈尊の叡智もそれである。

 彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそなえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもたらしたか、つぶさに知ることができる。彼がじっさいに語っているように、その人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、またその人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな行為が、つぎの生涯にどんな結果としてあらわれたか、すべての人間にわたって
知ることができる。これがほんとうの叡智なのである。

仏陀の瞑想から輪廻転生瞑想法へ

瞑想のすべてがここに表現されているといってよい。
二十一世紀という時空のへだたりを飛び越えて、読者よ、じつに、瞑想とはかくのごときものなのだ。
ここには瞑想のすべてがある。
この釈尊の体験を、もう少し掘り下げてみょう。

釈尊の瞑想体験には五つの段階がある

ここには、瞑想の深まりとその結果が、じつにあざやかに語られている。
第一の段階
わたしは、
1、つねに一つの目的にむかって精進をつづけることができ、
2、想念が確立してみだれず、
3、からだは安楽で動揺しない。
4、心はいつも定に入って静かである。
-第二の段階
第一禅定から第二、第三、第四禅定までしだいに深まっていって、
1、心に想い浮かぶなにものもなくなり、
2、喜びや楽しみだけとなり、
3、ついにはただ清浄な想いだけにみたされ、
4、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動となった。

―、自分の前世における光景が展開しはじめる。
2、それは一生だけでなく、二生、三生、十生、二十生、とかぎりなくさか
のぼり、無限の生涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開する。
それは生命の根源への遡及であり、第一の智慧の獲得であった。

第四の段階
心の眼はさらに広く深くひろがり、ひとの持つ能力の限界を越えて、過去、現
在、そして未来へと流れていくあらゆるひとびとのすがたが透視される。
それは、存在を規制する宿業の実体の把握であった。
これが第二の智慧の獲得である。

第五の段階
つづいてわたしは、
1、宿業から解説する四つの真理を如実に知り、
2、あらゆる存在からの解脱と超越を完成した。
それは第三の智慧の獲得であり、「解脱の瞑想」であった。
いかがであろうか? すばらしい体験だとあなたは思わないだろうか?・ こ
れが仏陀の瞑想なのである。そうしてだれでも、仏陀の瞑想をすればこういう境
地に達することができるのだ。
だが、そういうと、あなたはいうかもしれない。釈尊のような大天才と、凡人
であるわれわれと、どうしていっしょになるものか、釈尊がそういうすばらしい
体験をしたからといって、それがそのままわれわれに通ずるとはかぎらないの
だ。むしろ、鵜のまねをするガラスで、けっきょく、骨折り損のくたびれもうけ
ということになるのではないか、と。
そうではないのである。
釈尊とおなじ瞑想をすることにより、われわれもまた彼とおなじ結果に到達す
ることが可能なのである。最初の道を切り開くものは天才でなければならぬ。し
かし、すでに天才の開いた道は、だれでも歩むことができるのである。

 

 


Shason, then my heart has been directed to all sentient beings. I saw that phase with superhuman eyes. There are precious things, worthy things, beautiful things
Although ugly, happy, and unhappy, each camp was swirling. This is the second wisdom.

Then I knew the four noble truths (four truths) of suffering, gathering, extinction, and the way as they were, and my heart was completely freed from all aspects of being, and it was again.
I’m no longer obsessed with. This is the third wisdom.

Through his meditation, Shason is his predecessor, second, third, tenth, twenty, and even nothing.
I am seeing the spectacle of life and death that has changed to life. It’s not just about myself, but looking at all human predecessors and even human beings (this life)
He is there.

Shason is by no means telling fairy tales, parables, or parables here. If you practice Shakyamuni’s Buddhahood law, you will soon find out the truth. By that training
It is possible to see through my white meat, three or four generations before human beings, and even the existence in the next generation.

Human life, as many people think, does not end with just one life. After a certain life, continue again, the next
It shifts to the form of life.

Many people are unaware of it and believe that a person’s life will end in just one life. Here is a decisive and deadly flaw in the view of life.
To.

Spirituality is the tendency to know it.

It is the ability to know where people come and go, and where they leave and where they go. It is the wisdom to know the so-called visit and the outbound. If you get this, people will naturally
The true progress and development of human beings starts from the understanding of what to do and what to do. Without it, humans advance a little spiritually
I can’t walk, I can’t develop, I’m wandering around infinitely low places
It is. No, that’s not all. At the end of the day, Shason named this ignorance, which human beings would destroy the precious world in which he lives, with his own hands.

The logic of Bibionidae

The word “avidy” has two meanings.

Total ignorance and complete darkness.
“Ming” has two meanings, Akechi (wisdom) and Komei.
Without wisdom to realize the truth, he was walking in total darkness by groping. Isn’t that true for humans? He doesn’t know where to come, he doesn’t know where to go, he’s just present (present). The present is enthusiastic about pursuing immediate profits. As a result, where he goes, what world he is in, and how dark he is.
Will it exist as a form of life?

The “third eye” sees through this dark world. There is no question about the “third eye”. It can be seen clearly like noon.

It may seem strange, but every time I think of the power to see through the tenth and twenty life of Shason, I remember Drosophila.
The generation of Drosophila is extremely short. Usually, one generation is only about one month. Therefore, you can see the transition of dozens of generations in a short time.
Therefore, biologists and geneticists use Drosophila to experiment with the changes. You can see what the consequences of a single genetic change will be in dozens of generations.
That is also the wisdom of Shaka Nyorai.
If you have the power to see the transition of human beings for dozens of generations like him, you can know in detail what kind of process and what kind of result one cause brought about. it can. As he says, what the name of the person was, when, where he was born, what kind of life he lived, what kind of life he ended, what kind of life he had, what kind of life he had. The consequences of the act in the next life, across all human beings
You can know. This is true wisdom.

From Buddha’s meditation to reincarnation meditation
..
It can be said that all of meditation is expressed here.
Jumping over the space-time stagnation of the 21st century, readers, meditation is really like that.
Here is all about meditation.
Let’s dig a little deeper into this experience of Shaka Nyorai.

Shaka Nyorai’s meditation experience has five stages

Here, the depth of meditation and its consequences are spoken vividly.
First stage
I,
1. You can always continue to devote yourself to one purpose,
2. The idea is not established,
3. The body is comfortable and not upset.
4. My heart is always constant and quiet.
-Second stage
Gradually deepening from the first meditation to the second, third, and fourth meditations,
1. There is nothing that comes to my mind,
2. Only joy and fun
3. Finally, I was only satisfied with my clean feelings,
4. There was no injury, it was clean and bright, and it was absolutely immovable.

―, The scene in my previous life begins to develop.
2. It’s not just a lifetime, but a second life, a third life, a ten life, a twenty life, and so on.
Climbing, an infinite life, a life-changing and deadly scene unfolds.
It was a retrospective to the source of life and the first acquisition of wisdom.

Fourth stage
The eyes of the mind spread wider and deeper, beyond the limits of human ability, past and present
All the people who are present and flow into the future can be seen through.
It was a grasp of the substance of the lodging business that regulates its existence.
This is the acquisition of second wisdom.

Fifth stage
Then I
1. Knowing the four truths explained from the lodging business,
2. Completed liberation and transcendence from all beings.
It was the acquisition of the third wisdom, the “meditation of liberation.”
How is it? Don’t you think it’s a great experience?・ This
This is Buddha’s meditation. Anyone can meditate on the Buddha like this.
You can reach the ground.
But then you might say. A great genius like Shaka Nyorai and an ordinary person
Shaka Nyorai is such a wonderful thing, why we are together with us.
Just because you have an experience doesn’t mean that it goes straight to us
It is. Rather, it is a glass that imitates a cormorant, and it makes me tired of breaking my bones.
I wonder if that will be the case.
That is not the case.
By doing the same meditation as Shaka Nyorai, we also reach the same result as him.
It is possible. The one who opens the first path must be a genius. Shi
However, anyone can walk the path already open to geniuses.

チャクラの覚醒法 1  Chakra awakening method 1

 

秘伝

 そこで、思いきって、チャクラの覚醒法の概要をのべよう。

 

 さきにわたくしは、チャクラ・千不ルギーのルートづくりが、チャクラ覚醒の一助になるものであるとのべた。それはじっさいにその通りで、それなくて

はチャクラの覚醒は不可能に近いといってよいであろう。殊に、アージュニャー・チャクラヘのルートづくりは、非常に重要な役わりをはたす。

 

 しかし、それだけでは、チャクラの覚醒は成就しない。まったく別な方法である。

 

 その課程は大略、つぎのようなものである。

 

秘密マントラの特殊詠唱法

 

I、ず修行者は、自分のチャクラの正確な場所を把握する。

  場所は個人差があるので、ぎ帽が、正確な場所を教示する)

 2、このチャクラの場所に、或る特殊な振動を叩きつける。そのために、まず、

 3、この特殊な振動を伝える振動ルートをつくり出す。これまでにつくったチャクラ・千不ルギーのルートと重複するルートも一部あるが、大部分は新しくつくり出す。それは直接チャクラにつながるルートである。

このルートづくりに「××」を使う。‐(特に秘す。但し、’本書をよく読めば、ヒントを得られるはずである)

 4、その特殊振動を発生書せる。

 5、その振動をルートに伝え、チャクラに叩きつける。

 

以上のようなものである。

 この振動が、チャクラを覚醒させる特殊秘法であり、わたくしの最極秘伝なのだ。

 この特殊振動というのは、横隔膜、胸腔、腹腔を使って、特殊な振動を起こすのごある。

 

輪廻転生瞑想法III

実践 輪廻転生瞑想法〈3〉あなたも仏陀になれる水晶龍神瞑想法

新品価格
¥3,080から
(2021/4/7 10:43時点)

輪廻転生瞑想法〈3〉あなたも仏陀になれる水晶龍神瞑想法

新品価格
¥1,870から
(2021/4/7 10:43時点)


secret

Therefore, let’s take the plunge and give an overview of the chakra awakening method.

 

Earlier, I mentioned that creating routes for chakras and Senfu ruggies would help awaken the chakras. That’s exactly right, without it

It can be said that the awakening of the chakra is almost impossible. In particular, route building for Ajnya Chakrahe plays a very important role.

 

However, that alone will not achieve the awakening of the chakras. It’s a completely different method.

 

The course is roughly as follows.

 

Secret mantra special chanting method

 

I, the practitioner knows the exact location of his chakra.

The location varies from person to person, so the cap will tell you the exact location)

2. Hit a special vibration on the place of this chakra. To that end, first

3. Create a vibration route that conveys this special vibration. There are some routes that overlap with the chakra / thousand ruggie routes that have been created so far, but most of them will be newly created. It is a route that leads directly to the chakras.

Use “XX” to create this route. -(Especially secret, but if you read this book carefully, you should be able to get a hint)

4. Can generate and write the special vibration.

5. Transmit the vibration to the route and hit the chakra.

 

It is as above.

This vibration is a special secret method that awakens the chakras, and is my most secret secret.

This special vibration uses the diaphragm, thoracic cavity, and abdominal cavity to cause special vibration.

 

Reincarnation Meditation III

念力をつよくして 一バランスをたもつ     Strengthen your psychokinesis and keep a balance

念力をつよくして 一バランスをたもつ

 

これはどういう修行法かと申しますと、仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」 うように説明しております。念覚支とは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこ ’うように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚支の修行の説明になっ ないと思います。

わたくし自身の修行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 いは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、修行そのもので らいわけです。おもいを平安にするというのは、念覚支を修行した結果、つねにおもいが平安 なる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。

わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず 、念の力を強化する。

活力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で『念力』という本を書い おきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と言でいってしまうと、ち っと安っぼくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化す ということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力。 ういったものを非常に強化する訓練である。

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っていま

知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、し かも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におも いが平安になるということじゃないですか。

 人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、こ いがかたよりやすいわけです。

 夏目漱石の『草枕』の書き出しに、

-知にはたらけば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」とあるでしょう。

 だから知というものにかたよると、とかく理くつっぽくなって角が立ちやすい。頭が非常 よいと、知能のはたらきがつよいですから、すぐ理くつでものをわりきろうとします。

 情に棹させば流される それはそうでしょう、人情的になりすぎれば流されてしまいます。

意志がつよかったらどうかというと、これは強情で、どうにもしようがないということにな りますね。

 ですから、知・情・意、それぞれのはたらきを強化し、たかめる、そういう修行です。しか

そのいずれにもかたよらないように平均化する、これがいちばん大切なことじゃないです 知的にも非常に高度で、情緒面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術 面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無昧乾燥にな力やす いわけです。芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレ をいったって、ニコリともしない。今日きいたシレを、三日ぐらいたっ七急に笑,い出じ て、「ああ、そうだ,ったのか」なんて(笑)、それじやあおはなしにならんでしょう。 

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、たかめるという訓練をする。そしてそのい ずれにもかたよらないということ。これがまず第一です。

 しかし、それだけじやない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出 す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリ’’ー ヨーガの修行が入るわけです。

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空の体得により、諸法の実相がわかるようになります。つまり、「縁起の法」を如実 にさ とることになるわけです。                                

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といつてよいでしよう。いや、三十七道晶の中でも

 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、。思想のなかから真実なるものをえらびだす

ということです。

択というのは、「選択」のタクでず。 略ど ない本漢字は「選揮」と書いて、選 えらぶ、「揮」。もえらぶ、という字です。

 つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざ まな宗教、信仰、思想があびます。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちが ったものや、いつわりのものを捨て石、取捨選択するということです。

 正しい信仰をえらびとって、正しくないものを捨てさるということが修行というのは、どうい うことなんだろう? そう思ったことかありますけれども、考えているうち、やはりそれは修行 なんだなと思うようになった。というのは、それが修行であるというのは、自分自身の勉強、知 能によってそれをなすというところにあるわけです。         、

 たとえば、つぎのようなことです。

 お釈迦さまが出家されて、自分がさとりをひらくに到るまでには、当時のさまざまな信仰や宗 教、いろいろなことを教える思想家、そういったかたがたに、肘あたりしてぶつかっていってい るわけです。いろいろな仙人にもあって、はなしを聞く、それだけではなくて、それが正しい か、正しくないか、ということをご自分でI生けんめい考えられたということです。

 そうして結局、当時のインドにあったところのあらゆる教え、宗教というものは、みな正しく ないという結論に達したわけです。それには、釈迦ご自身のふかい修行と勉強によってそこに到 達したわけです。

 ですから、わたくしたちも、この択法覚文が修行であるというのは、自分自身の勉強と修行に よって、ほんとうに真実なるものをえらびとり、正しくないものは捨てさる、ということをしな ければいけないんです。

瞑想ひつとっても、日本に、瞑想を教える学校みたいなところや、瞑想 の先生、そういったものがたくさんあるでしょう。そのたくさんの瞑想のなかから、どれが正し い瞑想法なのか? どの先生が、正しい瞑想法を教えているのか? ということを自分自身がは っきりと取捨選択しなければいけないということです。

 たいていの場合は、自分自身の研究や勉強、あるいは修行によって取捨選択するというひとは すくない、たいてい評判を聞くだけです。

「あのニホンーメディテーションセンターというのはどうなの?」

「あれは、桐山さんというひとがやっていて、いいよ」

 といったり、

 「あれはダメだ、インチキだよ」

 なんていう。そうかなあ、どうなんだろうか。T・M(、rranscendental Meditationo超越瞑 想の略語)というのがいいというひともいれば、T・Mというのはダメだというひともいる。そ の評判だけできめてしまう人が多い。

 それをお釈迦さまは、ありとあらゆるいろいろな教法をご自分でぶつかって調べてみる。瞑想 についても、すぐそれがいいとかわるいとか、ひとの評判とか、そういったものにはまどわされ ない。ご自分がその瞑想をやってみて、、これはいかん、これはいい、というように選択される。

 そういう意味で、択法覚支というのが修行になるわけです。

 

Psychokinesis and balance

 

As for what kind of training this is, when you look at Buddhist dictionaries, it explains that it “flattens your mind.” I explain that the Seven Factors of Awakening is “the feeling”, that is, the peace of mind, but I don’t think that alone is an explanation of the practice of the Seven Factors of Awakening.

According to my own training experience, it is not such an easy thing, and it makes my heart peaceful, or it is certainly true, but it comes from the result, and it is not the training itself. Making the weight peaceful means that as a result of practicing the Seven Factors of Awakening, the weight is always peaceful and the weight is flattened, and it is not a practice in itself.

I think this training can be divided into two. First, strengthen the power of mind.

When it comes to vitality, it’s kind of cheap. He wrote a book called “Psychokinesis” by himself, and it is strange to say such a thing, but when he says “Psychokinesis”, he feels a little cheap. It means strengthening the power of mind, in short, strengthening the mental power very much.

It is vague to say that it is just mental power, but in short, it is the power of will and the power of intelligence. It is a training that greatly strengthens such things.

In other words, human mental action consists of knowledge, affection, and will.

The power of intelligence, the power of intelligence, the emotional work, and the power of will.

In short, strengthening the power of mind means strengthening the functions of these three divisions (knowledge, affection, and will) so that he does not depend on any of them. Doesn’t that mean that in the end, it will be peaceful?

Human mental power is made up of the functions of this knowledge, affection, and will. However, he is easier than he is.

For writing out Natsume Soseki’s “Kusamakura”,

-If you work with knowledge, you will get a horn. If you let the emotions flow, you will be swept away. Anyway, this world is hard to live in. ”

Therefore, depending on what you know, it’s easy to get horny and horny. If you are very smart, your intelligence will work well, so you will immediately try to make sense.

He will be swept away if he is sentimental, and he will be swept away if he becomes too humane.

If you have a strong will, this is stubborn and you can’t help it.

Therefore, it is such a practice to strengthen and strengthen each function of knowledge, affection, and will. Deer

It’s not the most important thing to average so that it doesn’t depend on any of them. It’s intellectually very advanced, and it’s well understood in terms of art as well as emotional and so-called emotional. can do. The person who has no emotional feelings is the one who is easy to be dry and dry. I don’t understand anything about art, it’s not interesting to talk about it, and it doesn’t make me smile. I laughed at the sire I heard today in a hurry for about three days, and said, “Oh, that’s right, was it?” (Laughs).

It’s fine to have a strong will, but it shouldn’t be stubborn.

Therefore, we will train to strengthen and strengthen the mental effects of knowledge, affection, and will. And that he doesn’t depend on the gap. This is first and foremost.

However, that is not the case.

Strengthen the power of the mind itself to mystery. When you concentrate on one point, it exerts enough power to make a fire. Therefore, this training of the Awakening includes the training of Kundalini “-Yoga.

Next, learn the “view of the sky”. Therefore, this Seven Factors of Awakening contains the practice of “Satipatthana”.

By learning this sky, you will be able to understand the reality of various laws. In other words, the “law of auspiciousness” is to be taken. ‥

This reminder can be the centerpiece of the Seven Factors of Awakening. No, even among the thirty-seven road crystals

This is a lot of teachings such as religion, faith, and philosophy. Select the truth from the thought

about it.

Choice is not a “choice” tact. The abbreviation of this kanji is written as “selection”, and it is selected, “volunteer”. The word “moerabu” is used.

In other words, it means choosing a truly true teaching method. There are various religions, beliefs, and thoughts in this world. Select the truth from them. Then, the town throws away what he has and what he has, and sorts it out.

What does it mean to practice by choosing the right faith and throwing away the wrong ones? Although I had thought so, while thinking about it, I came to think that it was training. For, it is a practice in that it is done by one’s own study and intelligence. ,

For example, it is as follows.

By the time Buddha was born and he opened Satori, he was hit by the various beliefs and religions of the time, the thinkers who taught various things, and those who hit his elbows. There are various hermits, and not only did they hear the story, but they also thought about whether it was right or wrong.

In the end, I came to the conclusion that all the teachings and religions that existed in India at that time were not correct. That was achieved through Buddha’s own training and study.

Therefore, we also do not say that this alternative memorial is a practice, that he chooses what is truly true and throws away what is not correct by his own study and practice. I have to be him.

There are many meditation schools in Japan, such as schools that teach meditation, meditation teachers, and so on. Which of the many meditations is right for him? Which teacher teaches the correct meditation method? That means that I have to make a clear choice for him.

Most of the time, the person who chooses by his own research, study, or training only hears his poor reputation.

“What about that Japanese meditation center?”

“That is good because there is a person named Mr. Kiriyama.”

Or say,

“That’s no good, it’s a fake”

What is it? I wonder what it is. Some people say that TM (an abbreviation for transcendental meditation) is good, while others say that TM is not good. There are many people who can only make that reputation.

Shaka-sama tried to find out by colliding with all kinds of various teaching methods. As for meditation, I’m not confused by the fact that it’s good or bad, or the reputation of people. You try the meditation, and you are chosen to say, “I don’t care, this is good.”

In that sense, the training of the alternative method is the practice.

間脳思考 ー反重力の修行  Diencephalon thinking-anti-gravity training

反重力の修行

わたくしは、さきに、ジャーナリストのK氏から、エレクトロニクスと霊性をはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

そのあと、はなしが大分すすんでから、
「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」と聞かれた。わたくしは、
「いいえ」とかぶりをふった。

「瞑想じゃないのですか?」

「いいえ」

とわたくしはこれにもかぶりをふった。

K氏は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。

そこでわたくしは答えた。

「それは瞑想からはじまるのです」

なるほど、というようにK氏はうなずいた。わたくしは説明した。

それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。

霊性の完成は、瞑想だ不可能なのである。こころの安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程度のものでは、

とうい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいでは、ぜったいに行きつくないのだ。

なぜか?

 霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。

カルマとはなにか? いうならば、地球における引力のようなものである。

地球在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力からのがれることはい。

いや、地球という存在そのものが、引力によって成り立っているのである。

人間におけるカルマもその通りである。ひとはすべて、輪廻のカルマの絶対的な規制をうけカルマから、

もろもろの「因縁Lが生じて、人間を繋縛しているのである。

いや、カルマと因縁て、人間が成立しているのだ。このカルマと因縁の繋縛から完全に解脱したときが、

霊性のである。

いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なのだ。

自分〃という波動を変えてしまうのだ。それによりである。

人間という存在の波動を変える原点は間脳の視床下部にある。

ここのより、全身の波動が変り、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在になる。

 

それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまたことなった、

高度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。これが成就すると、

特殊な「霊光」が発生するようになる。この特殊なオ上フの発生は、全身の波動が変化したことを示すのである。

オーラについてはまたあとでのべるが、このオーラの発光源は間脳なのである。

瞑想だけでは、以上のような”次元の変化”は不可能である。

もちろん、こころの安定、集中、

まったくあたらしい高い次元へのメディテイト、等、瞑想はこの修行にぜったい必要なのである。

しかし、それは一つの手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。

だから瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、

オーラは発生しない。したがって、カルマを越えることはできないのである。

 では、なにが必要なのか?
特殊なtapas(練行)である。

学者はtapasを苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。

そしてこの練行がぜったいに必要なのである。

 

Anti-gravity training

Earlier, journalist K asked me what electronics and spirituality were, and I said that it started with meditation.

After that, after the story went a long way,
“Then, is it meditation to develop the diencephalon?” I,
I covered it with “No”.

“Isn’t it meditation?”

“No”

I also covered this.

Mr. K stared at me with a stern look.

So I answered.

“It starts with meditation.”

I see, Mr. K nodded. I explained.

It starts with meditation, but it’s not just about meditation.

The perfection of spirituality is impossible with meditation. At the level of mental stability, desire regulation, instinct suppression, etc.

It is a boundary that cannot be reached at last. A change in thoughts and thoughts is not enough.

why?

The goal of spiritual completion is transcendence from karma.

What is karma? It’s like an attractive force on the earth.

Everything that exists on Earth is under the control of Earth’s gravitational pull. Nothing can escape from attraction.

No, the very existence of the earth is made up of attraction.

The same is true of human karma. All people are subject to absolute regulation of reincarnation karma, from karma,

Various “fate L has arisen and is binding human beings.

No, human beings have been established in connection with karma. When I was completely released from the bond between this karma and the fate,

It is spiritual.

It is an escape from attraction. It is an anti-gravity practice.

It changes the vibration of myself. By that.

The origin that changes the vibration of human beings is in the hypothalamus of the diencephalon.

From here, the vibrations of the whole body change, and it becomes an existence with special mental vibrations and physical vibrations.

 

It’s different from a normal human being, unregulated by karma,

It becomes nothing more than a highly spiritual being. When this is achieved,

A special “religious light” will be generated. The occurrence of this special ojofu indicates that the wave motion of the whole body has changed.

The aura will be discussed later, but the source of this aura is the diencephalon.

The above “change of dimension” is impossible only by meditation.

Of course, mental stability, concentration,

Meditation to a completely new higher dimension, etc. is absolutely necessary for this practice.

But that’s just one way. Meditation can only move the limbic system and the neocortical brain.

That’s why meditation alone is not enough. Unless it is a meditation that works the diencephalon

No aura is generated. Therefore, karma cannot be crossed.

Then what do you need?
It is a special tapas (training).

Scholars translate tapas as penance, but I would like to translate this as penance.

And this practice is absolutely necessary.

 

間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代 

間脳思考?霊的バイオ・ホロニクスの時代

新品価格
¥1,540から
(2021/4/9 13:33時点)

変易生死   普通の人間と解脱に至る四つの階梯  Changeable life and death: Four steps leading to liberation with ordinary humans

仏語。聖者が迷いの世界を離れて、輪廻(りんね)を超えた仏果に至るまでに受ける生死。→分段生死

 

 の解説

仏語。聖者が迷いの世界を離れて、輪廻 (りんね) を超えた仏果に至るまでに受ける生死。→分段生死

 

生死

しょうじ

(梵)サンサーラ saṃsāra の訳。輪廻とも訳す。業因によって六道の迷界に、生まれかわり死にかわりして輪廻することで、涅槃(さとり)の逆。生死のはてしないことを底知れない海に譬えて生死海といい、苦悩の世界であるから生死の苦海という。生死の苦海を渡って涅槃の彼岸に到ることは困難であるから難度海ともいう。

① 二種生死。

(1)分段ぶんだん生死。有漏の善悪業を因とし煩悩障を縁として三界内の麤なる果報を受けるとき、その果報は寿命の長短や肉体の大小など一定の斎[際]限をもっているから分段身といい、分段身を受けて輪廻することを分段生死という。
(2)変易へんやく生死。不思議変易生死ともいう。阿羅漢辟支仏・大力の菩薩は分段生死を受けることはない。しかし、無漏の有分別の業を因として所知障を縁として、界外即ち三界の外の殊勝細妙な果報の身即ち意生身を受け、この身をもって三界内に来て菩薩の行を修めて仏果に至る。その身は悲願の力によって寿命も肉体も自由に変化改易することができて一定の斎[際]限がないから変易身といい、変易身を受けることを変易生死という。
② 四種生死。分段生死を三界について分け、これに変易生死を加えて四とする。また変易生死を方便・因縁・有後・無後の四生死に分ける。またみょう(現世の卑賎)より冥(死後の悪道)に入る、冥より明(死後の善趣)に入る、明(現世の尊貴)より冥に入る。明より明に入ることの四を四種死生という。
⓷ 七種生死。分段生死を三界について分け、これに変易生死の四種を加えて七とする。ただし後世の解釈ではこれを次の七種とする。分段生死・流来生死(真如の理に迷って生死の迷界に流来する初めをいう)・反出生死(発心して生死より反出する初めをいう)・方便生死(見思の惑を断ち三界の生死から超出する入滅の二乗についていう)・因縁生死(無漏業を因として無明を縁として生を受ける初地以上の菩薩についていう)・有後有生(有有生死ともいう。最後の一品の無明を残す第一〇地の菩薩についていう・無後生死(無有生死ともいう。無明を断ちつくして後身を受けない等覚の菩薩についていう)。(仏教学辞典)
輪廻

転生(てんせい、てんしょう)は聖者の輪廻である。

解脱に至る四つ

「解脱に至る四つの階梯」といった。

 だれでも、解脱に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そしてこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。 そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。

 

四つの階梯とは、

 

一、 Srota aPanna    須陀音

二、 sakrd agamin    斯陀含

三、 anagmin                   阿那含

四、 arhat            阿羅漢  仏陀

である。

 

説明すると、

 

須陀オン--きよめられた聖者

斯陀含 ーー められた聖者

阿那含ーー(次元を)飛躍した聖者

阿羅漢ーー(次元を)超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。

 

 

普通の人間は生死は分段ぶんだん生死である。

輪廻を巡る。

つの下層世界(地獄餓鬼畜生の3つ)を指す。三悪道(さんあくどう)、あるいは三悪、また三途三塗とも、さんづ / さんず)などともいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

求闘持聡明法一一一変身のカリキュラム Curriculum of transformation

 

求闘持聡明法一一一変身のカリキュラム

 

 

求聞持聡明法秘伝

 

チャクラを開発する三つの武器

 

求聞持聡明法による超能力開発は、ひと口にいうと、これまでくり返してのべてきたように、チャクラを開発して、そこから生ずる超人的子不ルギーを体の要所に送りこみ、それによって超人的な体力、超人的な精神力を獲得し、いごに、総合的な千不ルギーを脳に送って脳細胞を改造し、天才的な頭脳に変えてしまうというものである。

 

 では、いったい、人間の持つ何かそういう力を発揮するのであろうか?

 

次の三つの武器を使うのである。

  ―、意 念

  2、呼 吸

  3、筋 肉

 である。

 

 この三つを武器にして、チャクラを覚醒させ、また、チャクラェルギーを体の各所に送りこむのである。

 だが  、考えてみると、呼吸も、筋肉も、結局は、意念にょって操作されるものである。(潜在意識・深層意識をふくめこしたがって、究極的には、こころが主体となるわけである。

 

 じっさい、その通りであって、チャクラを開発するのも、チャクラにおいて発生させた超人的子ルギーを体の要点・要所に送りこみ、これを活動させるのも、すべてその原動力は、。こころ”なのである。こころがすべてなのだ。

 

こころとは、じつに偉大な力を持っているものなのである。

 

 だがそういうと、いったい心なんていうものにそんな力があるのだろうかと疑う人がいるかも知れない。それももっともなことと思われるが、しかし、人間の心というものはじつに不思議な力を持っているのである

意念むが持つ不思議な力

 多くの人びとは気がついていないが、適切な方法をもって訓練すると、人間の心は信じられないような不思議な力を発揮する。その例はいくらでもあげることが出来る。たとえば、『スーパーネイチュアLの著者、L・ワトスンは、

 

つぎのように述べている。

-もう一つの実用的なチペットの風習はツモである。この技能は風邪をひかないためのもので、大部分の上地が標高一万フィート以上の国では、非常に尊重される能力である。入門者はまず、呼吸と瞑想を組合わせた方法を学び、遠く人里離れた土地へ行って修行する。

毎日、氷のはった渓流で水浴し、体内に燃える火を想像しながら雪の土にはだかで座る。修行が完了すると、風の吹く冬の夜に試験が行われる。入門者は布にくるまれ、渓流にはった氷に穴をあけて、そこにつけられるのであるが、体温でその布を少なくともその夜の間に三回、完全に乾かさなければならない。この試験に合格すると、修行者は、四季を通じて、どんな高所でも、単衣の木綿の衣服しか身にまとわないようになる。いくつかのエベレスト登山隊は、万年雪におおわれた山地で、完全にはだかの隠者がちゃんと生活しているのを見たとさえ報告している。

 

 

 密教には、もっともっと高度の、人間を変えてしまう秘法がいくつもある。

しかし、その原理は一つである。心を使うのである。ただ、その使い方が問題である。L・ワトスンは、いともかんたんに、「体内に燃える火を想像しながら」と書いているが、それはそう単純なものではない。その修行者は、法に従って、深く微妙な心の使い方をしているのである。そしてまた、この修行は、

単に寒さにたえる能力だけを修行者にあたえるのではなく、寒さにたえる力は表面にあらわれただけのものであって、内面においてかれはもっともっと価値あるものを得ているはずなのである。そのことは、あなたも、これからしだいに理解されるようになるであろう。

 

 ところで、その「心」を、わたくしは、そのはたらきの上から、つぎのよう

に分類している。

 

  心・念・気

 である。

 意とは、意志、というように、心が一定の方向に向かって動いている状態を

さす。

念とは、意の動きが集中し高まって、ひとつの力を持つにいたった状態で、念力、という名がこれをよく表現している。

 

 気とは、念が或る方向に向かって身体の中を流れて行く状態である。ただし、この「気」には、意識的につくり出されたものと、無意識的・生理的に、自然に身体の中を流れているものと、二種類ある。たとえば、「元気だというような言葉で表現されるものである。そこで、見かたによっては、気を集中したものが念なのだ、ということも出来るであろう。もともと、心という一つのものを分けて考えているのであるから、そこのところはどうともいえるわけである。ここでは、便宜上このように分類して、「気」という場合は主として意識的につくり出されたものをいっていると考えていただきたい。

養…………ヽむをどのように使うのか?

 さて、それでは、その「心」をいったいどのように使うのであろうか?

心とは元来、この上なくとらえ難いものである。コロコロと常に動いてとどまらぬところから、これを約めてこころということになったのだといわれる位、

それは把握し難いものである。いったいどうやってこれを思う通りに駆使するのか?

 

 一つ、方法があるのである。

なにか?

 

呼吸である。

 

 心と呼吸とは、非常に密接な関係がある。

 心の状態がそのまま呼吸にあらわれ、呼吸の状態がそのまま心を映し出す。

心が静まれば、呼吸も静まり、呼吸を静めれば心も静まる。心と呼吸は一体なのだ。

 そこでI-、呼吸をコントロールすることにより、心をコントロールするという、高度のテクニックを使うのである。ここからスタートして、しだいに熟達し、ついには自分の思うように心を使うことができるようになるのである。

 

 いや、それだけではない。一歩すすんで、体(筋肉)をも、思う通りに使いこなすことができるようになるのである。というのは、呼吸は心と一体であるが、それだけではなく、体とも一体であるからだ。修行が進むと、今度は、呼吸と心が一体になって、心がえがくイメージ通り、不随意筋をも動かすようになるのである。

 

Curriculum of transformation

 

 

 

Gumonji Satoshi Hou Hidden

 

Three weapons to develop chakras

 

In a nutshell, the development of psychic powers by the Gumonji Satoshi method develops chakras and sends the resulting superhuman childhood irritability to key points of the body, as we have repeatedly mentioned. By doing so, it acquires superhuman physical strength and superhuman mental power, and in the meantime, it sends a comprehensive thousand chakras to the brain to remodel brain cells and turn them into genius brains. ..

 

Then, does it exert any kind of human power?

 

Use the following three weapons.

-, Intention

2, call sucking

3, muscle meat

It is.

 

Using these three weapons, awaken the chakras and also the chakra child irrugies

It is sent to various parts of the body.

However, when you think about it, breathing and muscles are, after all, manipulated by will. (Including the subconscious and deep consciousness, therefore, ultimately, the mind becomes the subject.

 

That’s right, the driving force is to develop the chakras, to send the superhuman child energy generated in the chakras to the main points and key points of the body, and to activate them. “Kokoro”. Kokoro is everything.

 

The heart is the one that has great power.

 

However, there may be some who wonder if the mind has such power. That seems reasonable, but the human mind has a mysterious power.

The mysterious power of will

Many people are unaware, but when trained in an appropriate way, the human mind exerts an incredible and mysterious power. You can give as many examples as you like. For example, “The author of Super Nature L, L. Watson,

 

It states as follows.

-Another practical tippet custom is Tsumo. This skill is to avoid catching colds and is a highly respected ability in most countries where the land is above 10,000 feet above sea level. Beginners first learn how to combine breathing and meditation, and then go to remote areas to practice.

Every day, I bathe in an icy mountain stream and sit naked in the snow, imagining the fire burning inside my body. Once the training is complete, the test will take place on a windy winter night. Beginners are wrapped in a cloth, pierced with ice in a mountain stream, and put on it, but at body temperature the cloth must be completely dried at least three times during the night. After passing this exam, the practitioner will only wear a single cotton garment at any height throughout the four seasons. Some Everest climbers have even reported seeing a completely naked hermit living in a snow-capped mountain range.

 

 

 

Esoteric Buddhism has a number of more advanced and human-changing secrets.

However, the principle is one. Use your heart. However, how to use it is a problem. L. Watson simply wrote, “Imagine a fire burning in your body,” but it’s not that simple. The practitioner uses the deep and delicate mind according to the law. And again, this training is

Rather than simply giving the practitioner the ability to withstand the cold, the ability to withstand the cold is only manifested on the surface, and he must have gained much more value on the inside. That will be understood by you as well.

 

By the way, from the top of its function, I would like to express that “heart” as follows.

It is classified into.

 

Mind, mind, and qi

It is.

The will is the state in which the mind is moving in a certain direction, such as the will.

As expected.

Psychokinesis is a state in which the movements of mind are concentrated and heightened to have one power, and the name psychokinesis often expresses this.

 

Qi is a state in which the mind flows through the body in a certain direction. However, there are two types of “ki”, one that is created consciously and the other that flows naturally in the body unconsciously and physiologically. For example, it is expressed by words such as “I’m fine.” Therefore, depending on how you look at it, you may be able to say that you should focus on what you are looking for. Originally, one thing called the mind is considered separately, so that can be said to be insignificant. Here, for convenience, we classify them in this way, and when we say “ki”, we would like you to think of it as something that was mainly consciously created.

Nourishment ………… How do you use ヽ?

Then, how do you use that “heart”?

The mind is, by nature, the most elusive. It is said that it was decided to reduce this from the place where it always moves and does not stop.

It’s hard to grasp. How do you make full use of this as you wish?

 

There is one way.

Something?

 

Breathing.

 

The mind and breathing are very closely related.

The state of mind appears in breathing as it is, and the state of breathing reflects the mind as it is.

If the mind calms down, the breathing calms down, and if the breathing calms down, the mind calms down. The mind and breath are one.

Therefore, I-, an advanced technique of controlling the mind by controlling breathing is used. Starting from here, you will gradually become proficient and eventually you will be able to use your mind as you wish.

 

No, that’s not all. You will be able to take a step forward and use your body (muscles) as you wish. Because breathing is one with the mind, but not only with the body. As the training progresses, the breathing and the mind become one, and the involuntary muscles move as the image of the mind evokes.

 

七道品経  七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム   3 / 4 Shichido Shinkyo 7 types of systems and 37 types of curriculum 3/4

精進鴬支            

 択法も、ただえらんだだけではなく、えらんだものを一心に努力精進してぃ自分の身につけなければならない。阿含を学んで、知識として、阿含は最高の仏教であるとわかっただけではだめだ 最高のもだとわかった阿含の教法を、全に自分のものにするために、心。不乱の努力精進というものがなければならない。そこに精進営支があるわけです。

修行が苦しいというやつは人前になれない

喜覚支

 しかし、その精進覚支も、ミいやいやながらにやったのではだめだというのが、つぎの「喜覚支」なんです。喜覚支というのはよろこびに住する修行だ、というのです。その精進が、真実の教法を身につけるよろこびに住するということです。

えろこびに住さなきゃならんという、これはちょっとむずかしいかもしれませんね。よろこびに住せよ。しかし、「それはわかりますけれども、わたしちっともよろこべないんです。ちっともうれしくないんです岬せめてもう、泣きっつらしないだけ、゛泣きごとをいわないでI生けんめいやっているだけ、。いいと思ってぐださい。

まあ、『それくらいでかんべんしてくださいLというひとがあるかも七れないけれども、お釈迦さまは、それではほんとの修行じゃないとおっしずるんです。

一どんなつちい精進も、どんな苦し。い修行も、それがよろこびに住するという境地でなければ、ほんものの修行ではない、身につかんということいんだ。その苦しいのを苦しいながらにがまんして、努力することが、それが修行じゃないですか、精進じゃないですか、それでいいんじゃないんですか、という理屈も成り立つとおもうんです。そうでしょ、。苦しいことは苦しい、つらいことはつらい、’いやなことはいやだ、けれども苦しいとおもいながら、つらいとおもいながら、いやだとおもいながら、『まあ、とにかく」生けんめいにやってるんだから、それが修行というもので、それでいいんじやないですか、とこういうかもしれないけれども、それじゃほんとうの修行ではない、とこうおっしゃる。なぜかというと、いくつかの理由があげられるとおもうんです。ほんとに、最高にして真実なる教法を選択して、それをわがものにするとい。う努力をしているんだったらば、たとえ苦しくともそのなかによろこびがあるはずだということです。

Seishin Tsumugi support

The selection method is not just the selection, but you have to work hard and devote yourself to the selection. It is not enough to learn Agama and find out that Agama is the best Buddhism as a knowledge. There must be an unwavering effort. There is a devoted branch there.

Those who have difficulty training cannot be in public

Awakening

However, the next “Kikakuzoku” is that it is not possible to do it unwillingly. It is said that the joyous support is a training to live in joy. That devotion is to live in the joy of learning the true teachings.

It may be a little difficult to live in Erokobi. Live in joy. However, “I understand that, but I’m not happy at all. I’m not happy at all. At least I don’t cry anymore, I just do my best without crying. I think it’s okay. Gudasai.

Well, “There may be a person named L who should be able to do that, but Shaka-sama tells me that it is not really training.

No matter what kind of devotion, any pain. It’s not a real practice, but a practice, unless it’s a place where you can live in joy. I think that it is logical that it is training, devotion, or that is all right to put up with the pain and make an effort. Right,. Painful things are painful, painful things are painful,’I don’t like unpleasant things, but I think it’s painful, I think it’s painful, I think it’s unpleasant, but I’m doing it “well, anyway”. It’s a training, and it may be like this, but it’s not really a training, he says. I think there are several reasons why. Really, choose the best and most true teaching and make it your own. If you are trying hard, you should be happy in it, even if it is painful.